PROGUIDE マイゾックス製品情報ガイド Vol.41
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中国から入ってきた測量や地図作成の技術で都市や建物の建築が行われてきた日本。そんな日本の測量の歴史において大きな転換点といえるのは1600年前後に豊臣秀吉が行った「太閤検地」だ。実は当時は一間、一尺といった単位の長さが統一されておらず、この太閤検地はすべての単位を統一して行われた日本初の本格的な測量だった。土地や田んぼを正確に測ることで石高(税収)を把握することが可能になり、各国を支配する「全国統一」を可能にしたともいえる。明治時代になると、西洋式の近代測量の技術が日本に到来することとなる。明治4年にはイギリス人の指導の下、13カ所の三角点を日本で設定。日本で初めて一等三角点が設置されたのは、現在の皇居の中にある「富士見櫓」だった。明治17年にはドイツ式の測量技術が正式採用され、全国の三角測量が始まっていく。その後、明治25年には東京天文台の子午環の中心が日本経緯度原点と定められ、全国を覆う一等三角点が作られていくことに。この三角網の測量が、現在へと続く日本の測量の根幹となった。現在はレーザー測量やドローン測量、衛星測量など最新技術が続々と出てきているが、それらは過去の知識と技術の積み重ねの上に成り立っているものであり、そして「正しく測る」という目的は今も昔も変わらない。測量の技術はこれからも、発展と進化を続けていく。わんか羅鍼(杖先方位盤) 出典:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵(左)伊能忠敬が作り上げた地図「伊能図」。現在の日本地図と比べてもほぼ変わらない正確さに驚く。(ゼンリンミュージアム 所蔵)(下)伊能忠敬が使っていた、杖先に付けていた方位磁石盤「わんか羅鍼」。(千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵)江戸時代の日本における測量の大事業といえば、伊能忠敬による日本地図の作成だろう。今のように交通網も発展していない時代に、徒歩で日本全国の地図を作りあげたのはまさに「偉業」。実は伊能忠敬はもう一つ、「地球の大きさを割り出す」という偉業も成し遂げている。1800年ごろ、まず杖先方位盤や象限儀など木製の機材を使い、昔ながらの「距離と方位を次々と測っていく」トラバースという方法で子午線の長さを測量。当時ヨーロッパで測定されていたものとほぼ変わらない値の「地球の大きさ」を割り出していた。その後、日本全国の測量を行い正確な日本地図「伊能図」を作り上げるという偉業を成し遂げるが、実はこの日本地図作成の際にも、地球の大きさから割り出した緯度の差を用い、地図上の南北の長さの差が等しくなるように調整したといわれている。出典:徳川幕府県治要略太閤検地の様子。方位を測ってから田んぼの四隅に「細見竹(さいみだけ)」という竹を立てて中央を通るように縄を張り、中心を「十字木」で直角にし、「間竿」や「尺杖」という物差しを使い面積を測定していた。資料提供:八紘測量開発株式会社007まとめ私も未来に残る仕事をしよう!豊臣秀吉が行った「太閤検地」や伊能忠敬が行った日本地図の作成……「日本の測量の歴史」を紐解いてみましょう。太閤検地はなぜ画期的だったのか 文明開化とともに始まった「日本の近代測量」「地球の正確な大きさ」が伊能忠敬の偉業へとつながった

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