PROGUIDE マイゾックス製品情報ガイド Vol.41
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15世紀から17世紀前半にかけて、ポルトガル・スペインを中心とするヨーロッパ諸国が次々と新航路・新大陸を発見していった大航海時代。その隆盛は、火薬・活版印刷と並ぶ「世界三大発明」の一つである羅針盤がシルクロードを経由して中国から伝播したことによりもたらされた。それまで太陽や星を頼りに行われていた遠洋航海において、羅針盤を使用することで時間帯や天候に左右されることなく正確な方角へ進むことができるようになった。この羅針盤の登場とともに、「地図」も発展していくこととなる。大航海時代の初期に広く使用されていたのは「ポルトラノ海図」で、網状に張り巡らされた方位線を基準に羅針盤を用いることで方角を読み取っていた。時を経て1569年、現在でも海図の標準とされている「メルカトル図法」が完成することになる。画像提供:ポルトラノ海図 出典:gallica.bnf.fr / Bibliothèque Nationale de Franceピカールの計測器 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)ピカールが使用していた象限儀(四分儀)などの測定機器。ピカールは天体の高度を測定するのに用いる象限儀に初めて望遠鏡を設置し使った人物としても知られている。エラトステネスが地球の大きさを測定した方法は、太陽が真上に来る夏至の日に地面に建てた棒の影の角度と、アレクサンドリアとシエネ間の距離から導き出したものだった。シエネポルトラノ海図地中海地方を中心に使われていたポルトラノ海図。多くは羊の皮をなめした羊皮紙に描かれていた。大航海時代は「地球が球体であること」が証明された時代でもあったが、実はそれを最初に発見したのは古代ギリシア人だった。紀元前3世紀には、エラトステネスが太陽の高度の差から地球の大きさを求めた記録が残っている。残念ながら計算の元となる距離に誤差があったため、実際より15%ほど小さい値ではあったものの、この計算法(図1)は現在の測量技術の原点であったといえる。その後、1533年にオランダのフリシウスが三角測量の原理を発表。1615年、数学者スネルは、オランダの町、アルクマールとベルヘン・オプ・ゾームの間の子午線長を、世界で初めて三角測量を用いて測定し、1度の緯度差は107 km であるという結果を得る。1669年から1670年にかけて、さらに正確な測量がフランスのピカールにより行われた結果、地球の大きさをかなり正確に把握することが可能となった。より安全な遠洋航海が実現されるとともに、現代測量における基本でもある「三角測量」の技術も確立されたのだった。Created by PTOLEMY ⒸAtlas StudyModel Si Nan of Han Dynasty 出典:ウィキメディア・コモンズ中国で羅針盤が登場したのは歴史が古く、春秋戦国時代(紀元前770〜221年ごろ)には写真のようなスプーン型の方位磁石「司南」が使われていたという。これが方位盤と組み合わさり羅針盤へと発展した。メルカトル図法出発点と到着点の2点を結び、その直線と経度を示す線の交わった部分の角度に方位を合わせて進めば目的地に着くという特徴を持つ。7.2°7.2°(図1)北極地球の中心鉛直線(えんちょくせん/水平面(地面)に対して直角をなす線)アレクサンドリア5,000スタジア(約925km)太陽光赤道005大規模な航海が「大陸の形」を明らかにした大航海時代。それは、「正確な地図」と「測量技術の進化」が可能にしたものでもあったのです。羅針盤(コンパス)の伝播と航海術の発展「地球は丸い」から「地球の大きさ」へ

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